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わび茶を作ったのは千利休ではない?小林裕一郎が探ってみた!

こんにちは、小林裕一郎です。

 

茶道といえばどのようなイメージがありますか?

ルールが厳しそうだとか部屋が小さいとかいろいろあるかと思います。

 

本日は、「わび茶を作ったのは千利休ではない!」ということを茶道の歴史に基づいてお教えしたいと思います!

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わび茶を作ったのは千利休ではない?


【千利休】前編〜中田が想いを馳せる戦国の偉人〜

実はわび茶を作ったのは千利休ではありません。

室町時代茶人・村田珠光(むらたじゅこう/しゅこう)さんという禅僧が作られました。

村田珠光さんは僧侶であると同時に禅宗を学んでいました。

その時。珠光さんはある行動をします。

それは「茶ただ飲むのではなく、お茶を立てて心を静けさにする」というもの。

つまりは禅と茶道を合わせたものを作ろうと思って作ったのです。

それが「わび茶」です。

 

それを弟子である武野紹鴎さんが引き継ぎました。

紹鴎さんは茶室を三畳もしくは二畳半と決めた人です。

そしてその武野紹鴎さんの弟子が千利休だったのです。

 

 

なぜ茶道は広まった?

 

千利休は茶室に「にじり口」というものを作りました。

高さ約67センチ幅64センチのとても小さい穴です。

それは理由があります。

 

豊臣秀吉が行った刀狩りにより農民や僧侶が刀をもつことは禁じられました。

つまり所持することができたのは武士のみだったのです。

武士にとっては刀をもつことは誇りであり命より大事でした。

 

そんな命より大切な刀が入らないようにすることにより、

茶室の中では身分というものはありません、ここでは皆平等です。

身分なく皆同じように茶室に入り座りお茶を頂く

また頭を下げて謙虚な気持ちで、茶室に入るようにしたのです。

 

 

 

 

今回は「わび茶を作ったのは千利休ではない」という考察を書きました。

 

また千利休は商人としても優れていて、茶を中心に経済を回した人でもあります。

ビジネス目線で見てみると新たな面を見ることができて面白いですよ!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

以上、小林裕一郎でした。